事実と裁判の経過
当時30歳女性患者(身長156.5cm、体重64kg)が、事件があったとされたクリニックの開設管理者のA医師から下腹部と上腕の局所麻酔日帰り脂肪吸引を受け、脂肪吸引量は2100ccだった。
その12日後に脂肪吸引を毎日のように行っているベテランのB医師が出向依頼を受けて来訪、太腿内外の局所麻酔日帰り脂肪吸引を行い、脂肪吸引量は900ccだった(tumescent液という吸引前に脂肪をふやかす主に生理食塩水の液が約40%含まれるので純脂肪は540ccくらい)。
ところがその3週間後に、その患者が急死した。
死因は深部静脈塞栓・肺塞栓(俗にいうエコノミークラス症候群)だった。
遺族は、太腿の脂肪吸引のために静脈炎が起き、それによって血栓が生じ、その血栓が伸長して肺動脈に塞栓を来して死亡したと、医師らに刑事告発ならびに民事訴訟提訴を起こした。
A医師は第1回口頭弁論の後で、自己破産し訴訟から抜けた。
B医師は自らの脂肪吸引と急死は全く無関係と真っ向から反論した。
訴訟の後半で杏林大の剖検医・佐藤教授が証人となったが、下記画像のように右太腿中央部で大伏在静脈内に微量の血栓の付着を認め、この大伏在静脈静脈を深部静脈と繰り返し供述し、この血栓を起源とする下肢深部静脈血栓症による肺塞栓による死亡と証言した。
B医師は大伏在静脈は表在静脈であり深部静脈ではないことの正論で佐藤教授に反対尋問で続けて行おうと挙手したが、齋藤裁判長から「一度発言の機会を与えたから2度目は与えない。」と却下され、右陪席からの尋問に移った後、残り時間を1時間以上余して剖検医・佐藤教授の証人尋問が終了した(裁判長は反対尋問権の行使を妨げた公正を欠く訴訟指揮をしたのであり、この裁判長の却下の言葉は調書の印刷でも削られいる不当性がある)。
B医師はこの反論の内容を準備書面で書くが判決文で言及されることなく、証人・佐藤教授の供述が全面的に認容された。
また鑑定人となった昭和大学形成外科助教授は、剖検に一切触れず太腿の脂肪吸引が肺塞栓の原因と鑑定した。また出向して初めて患者と会ったB医師への採血をしなかった事や胸のレントゲンを撮らなかった検査義務違反、数日の入院させなかったことを過失との鑑定もしたが、これはB医師の多量の書証や主張から裁判所は認容できなかった。また手術でも過失はないとの判断せざるを得なくなった。
急死する患者は前日に階段から落ちて足を捻挫したので診て欲しいとアポ無しで来院したが、この時にB医師は予約患者の手術中であり、受付側で捻挫診察は美容クリニックとは診療科違いなのでレントゲンのある整形外科か外科に行くよう指導したが、その時にB医師に来院は伝えなかった。
しかし証人で呼ばれた元受付の横山は自らも訴えられるのを恐れ、B医師に「伝えたと思います。」と証言し、B医師は「手術中だから視診しか出来ないが伝えられたならオペ室入口に入れて診たはず。」と証言した。横山には、伝えたなら、手術中であったB医師は何と答えたのか聞けば「忘れました。」と証言した。
判決では、B医師が(予約手術中の患者の手術を中断しても捻挫を)優先して診れば、翌日の急死に繋がる兆候を見つけ、適切な治療を施すか転医させることで患者が生存できた可能性があるとした。尤も判決文上は下肢深部静脈による下肢の痛みの診察とスリ変えている(なお真の下肢深部静脈である「大腿静脈と下腿静脈に特記することない。」と佐藤教授は証言の1年9カ月程前に回答していた。)なお鑑定人の鑑定書も「診察すべきだった。」と鑑定していた(この昭和大学の医師の専門領域は「口蓋列・熱傷・瘢痕」と羊土社の医育期間名簿にある)。
裁判所は死の前日の診察不能のためB医師に損害賠償として550万円および死亡から支払いまでの年5%の金利を課す判決を命じた。
控訴審ではB医師は、患者が急死の5日と6時間前に、椎間板ヘルニアの持病のために左下腿痛があり整形外科認定医の診察を受けていた際、視診・触診・打診・下肢他動診察を受け、医師は右下肢に異常を認めなかったことを挙げ、且つ局所麻酔日帰り脂肪吸引では深部静脈血栓は起きないこと、予約手術中の患者を放り出して下肢捻挫を優先するのは間違っていることをも主張したが、判決は内容も金額も変わらず、判決確定となった。