小耳症再建(肋軟骨フレーム)の助手をした
耳の論文の校正で荻野洋一先生の元に伺った際、小耳症の肋軟骨での再建が近日中に入っているのをお聞きした時、茅ヶ崎の整形外科から時間調整して、荻野先生の執刀時に上白根病院へ出向き手術の助手に入らせて頂きました。小耳症の肋軟骨での形成再建外科自体は久留米大学麻酔科で麻酔を掛けながら田井教授の手術を至近距離で穴が開くほど見学させて頂きましたが、その手術の助手に付いたのは後にも先にもこの時だけです。軟骨の採取自体は、私が骨移植時に腸骨片を何度も取って来た事と比べて難しい事に見えませんでしたが、耳のフレームに合う様に全く無駄の無い手さばきで軟骨を採取されるお姿は流石は日本の小耳症再建:軟骨フレームの嚆矢と感嘆したものでした。耳作りのために皮下に入れるのも巧みの技と写り荻野先生が「神」に見えました。(尤も後年、永田先生の存在を知り、神の上にも神がいるものだと思いました。) さて整形外科は運動器外科として、その機能再建を行う尊い診療科と思っていましたが、形態再建も又、尊いと改めて思いましたし、こういう仕事もしたいと思いました。その日は深々とお礼を述べては茅ヶ崎に戻ったのを記憶しています。
こういう事で荻野先生も多少、私に目をかけて下さったのだと思います。それで後に繋がったのです。(続く)
【今、私は鼻中隔延長で肋軟骨をしばしば使いますが、採取時に、ふっと荻野先生を思い出します。論文校正願いの初対面時に家内を連れて行ったせいか、お手紙のやりとりの際は荻野先生は毎回締め括りで「奥様に宜しく。」と書かれていましたが、それは先生のお人柄を偲ばせるものと思いました。】