キュンチャー横留めと人工骨頭置換は、やり尽くした
茅ヶ崎徳洲会総合病院の整形外科は苛烈な勤務で、大腿・下腿・上腕の骨折のキュンチャー横留めや股関節人工骨頭置換などは、やり過ぎる位やれましたので、その分野に関しては、あしたのジョー的に「燃えたよ…真っ白に…燃え尽きたよ…」と思う様になりました。頚部/顆部/関節内骨折、関節鏡視下手術、腱/靭帯縫合・再建もどんどん行っていましたが、人工骨頭置換は梨状筋を強力に引きつつ切らずに行っていましたから、術後の脱臼の心配がなく、術後早期から下肢の運動をさせ、早ければ術後1週間で退院させていましたので最高水準だったと思います。そして整形外科専門医を取得し病院からは医長の任命を受け、久留米大学時代の発想ですと次は親の跡継ぎ開業を考えるのでしょうが、後に私はずっと心に秘めて来た「次は美容外科」を切実に考えるようになりました。
これに拍車が掛ったのは全くの奇遇ですが、茅ヶ崎徳洲会総合病院の整形外科は形成外科と同じ病棟で、医長に有名な銀座美容外科の森川昭彦先生の跡継ぎの森川一彦先生が居らしたこともあります。森川先生とは私が久留米大学在籍時に形成外科学会九州地方会に出席した時、北里大学形成外科の出向先に熊本の西日本病院があり、ここに森川先生もご出向されていて学会にご出席だったのですが、懇親会で私は「お父様は、あの有名な銀座整形の先生ですか!」等と談笑したのが平成2年だったと記憶します。しかしまさか後年に同じ病棟で働くことになるとは予想もしませんでした。
森川先生と部下の山本先生とは親しくさせて頂き、時には1人の患者さんを形成外科と組んで私と部下で一緒に手術室に入る事もありました。そういうこともあって「形成外科って良いな。やりがい感じそうだな。」と益々思う様になりました。
ですから茅ヶ崎にいる時、いつかは美容外科だが、その前に形成外科をやるという気持ちが強くなりました。(続く)