形成外科の心
「形外科成の心」とは母校、保健衛生大学形成外科助教授(当時:のちの教授、後に慶応の教授)でした中島先生から昭和61年に言われた言葉です。入局前提に個人的に助教授室に呼び出され、「入局したら1年間形成外科にいてもらい、その後に他科にもローテーションに出てもらうが、医者になって初めに形成外科をやってないと、最初から一般外科でもやって、あとで形成をやろうとしてもなかなか出来ない。青木先生(外科教授)など、形成外科に理解はあるんだが、自分がそういう手術をやろうとしても気分的に出来ない。なんて言う。」などと話されていたのを覚えています。
しかし私は『形成や美容の心は持って生まれた天分。外科から始めても良い。』とは思っていました。
前年の昭和60年はポリクリ(病院実習)の年度でしたが、夏休みなど私は自主的に形成のOPの助手で入っていたのと、原病院・ジュノクリニックに見学に行っていたので、昭和61年には上先生から電話もあったそうで、中島先生は私が形成外科へ入局すると思っておられたようです。
私も入局するつもりでした。その場は中島先生が私に対して医局員へ話し掛けて下さるような和んだ雰囲気でしたので、私は本音トークとして、「将来は美容外科をやりたいです。」と言いました。すると中島先生はみるみる顔色が変わり、「美容外科なんて社会の裏街道歩いてきた奴がやるものだ!そんな動機で形成外科に入局するな!!」と烈火の如く怒ったのでした。
これで母校の形成外科入局の選択肢が消えました。後に医学部卒業式の前後でしたが、学内で中島先生とバッタリ遭遇した時、呼び止められ、形成外科の入局勧誘のお言葉を掛けて頂いた時は、もうちょっと話し合っておけば良かったかな?と思いました。しかしもう既に江崎先生のお勧めで整形外科へ入局届を出していました。
後年、平成3年の形成外科学会総会で中島先生とは、私が上先生と居たところで出くわしてしまい、躊躇いながらもご挨拶を致しましたが、「機会あれば私のところに勉強に来て良いですよ。」とのお言葉を掛けて頂き、ジーンとしたものでした。
中島先生は日本美容外科学会(JSAPS)では一度もお見かけすることがなかったので、美容外科嫌いは本当と思っていましたが、今年の1月の例会で初めてお見かけし20年ぶりにご挨拶しました。先生も教授を定年退職され、お気持ちに変化があったのかも知れません。