形成外科に行きたいと思っても最初から戦場みたいなところに・・・

るろうに剣心:人斬り抜刀斎の整形外科医 昭和62年、私は大学病院の医局制度が戦前の陸軍並みに封建的なところが多い事を医師になった後で肌身で感じました。医局カンファランス室に教授が入って来ると、医局員は総立ちになり、奥の教授の椅子に教授が座るまで皆が直立不動で立っておかなければなりません。教授が椅子に腰かけて、やっと医局員も椅子に再び腰かけます。また若い医局員同士でも入局年が1年でも違えば、その先輩後輩の上下関係は厳しく、黒はともかく灰色を見せられて「白だよな?」と問い詰められれば「はっ、白いように見えます。」と答えざるを得ない雰囲気がありました。入局1,2年目医師が夜に医局にいた時、先輩医師が入って来れば「お疲れ様です。お茶を入れましょうか。」と言ってお茶くみをして当たり前でした。私も入局2年目までは皆と同じく度々お茶くみをしました。これらは医師免許取得年より、その医局への入局年の方が優先しました。
 また当直明けの朝は教授が出勤する時刻の前に当直医は教授室の入口前に立っておき、教授が来られたら、当直時の夜間の状況を硬直した姿勢で報告するのを日課にしている某医局もありました。
 そんな封建体質でも臨床の腕を磨けるなら幾らでも耐えられます。しかし大学医学部とは「研究・教育・臨床」が三本柱で、講師クラス以上の先生方の論文発表のためのデータ探しに、入局1年目医師はカルテ引きと称し過去10年以上の全てのカルテから必要データを抽出する作業を夜な夜な行わされたり、教授・助教授の学生への講義の際は、映写機係として随行したり、そして本丸の臨床も市中病院より病床数に比して教授~入局1年目医員まで合わせれば、医師数は明らかに多いですから、入局5年目程度では、とても執刀のチャンスなど巡ってきません。21世紀の今はどうだか分かりませんが、20年前なら上述の事は全国的に整形外科では当たり前だったと思います。
 ですから昨日書きました~各大学医局長に形成転科の相談をすれば「何科を何年やろうと実力的には3年目、医局員としては1年目扱いだから、オペ患者をストレッチャーで運ぶ事など、医局1年生として謙虚に振る舞う事。何?美容は入局10年はさせない。」~と聞かされた時は、形成外科でもやっぱり同じか!と落胆しました。
 さて末は医長として奮闘した茅ヶ崎徳洲会総合病院整形外科では、連日のように押し寄せる外傷患者で創傷処置や骨切り金属留め等の整形外科手術を行うことが麻薬漬けのようになっており、私は人を切らないと済まない「人斬り抜刀斎」になっていました。だから形成外科に行きたいと思っても最初から戦場みたいなところに戦力として投入される形でないと我慢できないのでした。(続く)