医療を「愛」として実践するのは尊い事ですが足をすくわれかねない

厚生労働省は今月、『医師の具体的な指示がなくても、看護師が一部の医療行為ができる制度の創設を決めた。国指定の研修を修了すれば自身の判断で、気管挿管や床ずれの壊死部分の切除や点滴中の高カロリー輸液量の調整、抗不安薬の内服などを「特定行為」と位置づけ解禁の方向とした。』とあります。
優秀な看護師は一杯いますから、彼女たちにもっと能力を発揮して欲しいと私は個人的には思います。しかし高度な責任も伴う故に危惧もします。我々が患者の為に精一杯努力しても、患者さんにとって医療で100%の満足は得られ難いものです。そこを医療者に敵意を持つ人物から標的にされる恐れがあると今月、上述記事を読んで思いました。
産経新聞の論説委員、古森義久氏は医療者に批判的です。以前、彼の書いたコラムは間違っていると思い、私は投書しましたら、駐在するワシントンから丁寧な手紙を頂きました。しかし古森氏は亡母様が絡んでいるだけに医療者とは永久に解かり合えないです。しかしジャーナリストとしてどんどん執筆されますから、我々には辛いものがあります。
メディオの伊藤隼也氏は医療者に敵意を持っている様です。以前メーリングリストで私のメールに相当侮蔑的な批判を展開しました。しかし自らが撮影しフライデーに載った「夫は問題病院の腐り切った医師に殺された!」には「あの記事やタイトルには何の問題もないと認識しております。」(原文のまま)と返事されました。

徳田虎雄先生の「愛-徳洲会」は本気だと思っています。私は徳田先生の講演を聞き握手して頂いてから、タダの一度も徳田先生を呼び捨てにした事はありません。医療を「愛」として実践するのは尊い事と思いますが、これも伊藤隼也氏などから足をすくわれかねないと想う、この頃です。