医局制度の旧弊性が2つの学会の統合を阻む
私はJSAPSの美容外科学会に出た際、「木村先生も、たった4年,形成外科をやっていれば形成外科専門医を名乗れたのに・・・。」と言われたことがあります。長老格の先生にです。
2つの美容外科学会を考える時、医局制度は障害になっています。私(木村)で考えれば整形外科専門医を取得し長くは無いですが総合病院の医長をやり、そこから先の分岐点として、1つは4年間形成外科の病院に勤め、それから美容外科をやる未来と、もう1つは形成外科医の経歴を経る事無しに、美容外科に勤める未来では、50歳位になった時、どっちの方が美容外科医師として腕が良いのだろうと考えた時、平成6年当時ですが、やはり後者だと思いました。それは形成外科を通常の大学医局への入局で始める場合です。
形成外科の場合、私が調べていた昭和63年~平成6年の間で医局と関係なしにフリーで勤められるまともな形成外科がある病院なんてまず無かったですし、且つ美容外科も行う施設となれば東京警察病院形成外科以外は無い!という結論でした。
医局というのは入局年度順に偉さが決まるタコ部屋か旧陸軍みたいなもので、ハッキリ言って私は嫌いです。先に入局した先輩(卒業年や、それまで積み重ねた技量と無関係)に後輩は黒い物でも白と言わなければならぬ雰囲気があります。それと反対に実力主義の徳洲会病院は、研修医でも多数の文献を読みこなし部長に対しても間違っていると思えば、ハッキリ間違ってます!と主張できるような雰囲気がありましたから、とても素適だったと思っています(湘南鎌倉&茅ヶ崎の徳洲会病院に医局と関係無しに就職してきた医師たちの関係です)。
さて、私は整形外科ではバリバリ手術をしていたのに大学の形成外科の医局に再入局したとたん奴隷奉公・丁稚奉公で執刀のチャンスなんかロクに無いとなれば新卒ではないのですから、これは我慢できません。そんなことで4年間費やしメスを持つ腕が鈍る位なら、整形外科から・・・→美容外科と導き出しました。なお私は美容外科の現場が、形成外科的手技と関係の薄い、豊胸と包茎と埋没とプロテと脂肪吸引が主である施設が多いと知っていました。
外科系他科から形成外科に移って最初からバリバリやれたのは医学部を昭和45年業卒位までの先生方です。あの頃は形成外科黎明期だったから昭和50年秋に標榜科となった時、翌春に英断しても未来は開けたのです(続く)。