なぜ「偏差値50未満」でも一流の外科医になれるのか(順大教授)

amano-hensati50(画像は2枚ともクリックで拡大可) 天皇陛下の手術をされた順天堂大教授の天野先生の表題の記事を読み、興味深くありましたので、正月でもあり戯言を書かせて頂きます。

私は子供の頃、プラモデル作りは好きで、園芸も大好きでした。そして単なる公立の中学生の頃は相対的に秀才で、理科、特に化学は高校のチャート式参考書を読み込んでいたので、神童級でした。

そして県下の進学校に430人中の50番位で入学していますが、直ぐに成績は低迷しました。天野先生は麻雀やスキーに熱中のためと書かれていますが、私の場合、親元離れて高校近くの祖父母の元に居たのですが、宗教と霊感に傾倒した世迷い事ばかり言われるのが災いし、真に受けて受験勉強に専念出来なくなったのでした。それで涅槃に達するためというか哲学と社会学の読書を凄くして行きました(専門書か岩波文庫の青帯を買って読む等)。また西洋史(中欧史)の読書にも深入りして行きました。当然受験生としては駄目で、高校は300番台で卒業でした。それで浪人となりましたが、祖父母は高校卒業までに亡くなっており、読書と思索に耽るのを続けるには1人で祖父母が建てた古家に住み続けるのが良いと思い、一浪時は予備校に行きませんでした。amano受験勉強の方は図書館にでも行ってするかとしましたが、天野先生と同じく6月頃で止めになって、漫画に傾倒して行きました(天野先生はパチンコ。手術で役立っているとありますが、私の漫画も同様)。晩秋には『漫画家になりたい!』との衝動が抑えられなくなり、投稿に向うようになりました。 しかし約1年で限界を悟り、落選で踏ん切りをつけ、二浪時11月下旬になってから、本気の受験勉強を4年半ぶりに再開し毎日16時間続けましたら翌年、藤田保健衛生大学医学部に合格しました(昭和56年。当時の名称は名古屋保健衛生大学)。これは未確認情報に賭け、それが的中したからと思います。
(なおPRESIDENT Onlineの記事の「偏差値50未満」とは理工系ブームに湧いたバブル経済前後の昭和60年~平成3年春あたりまでの底の時期を指すのであって、私の受験時は河合塾のデータで見ていた限り偏差値50はあったと思います。)=続く=