鳥山明には遠く及ばずとも江口寿史には近づけると思った

先日、電車の吊り広告を見たら、ここにもドラゴンポールの催しがありました。
ドラゴンボールは少年ジャンプでの連載が終わって23年も経つのに、今も高い人気を保ち、日本を代表する世界的な漫画・アニメとなっています。フランス語版では3000万部も発行されているそうですから、凄いですね。鳥山明さんは本当に天才です。

その鳥山さんが昭和55年に「Dr.スランプ」の連載を開始した際は、私は「よ~し、漫画家になるぞ!」と意を決した頃でしたが、いきなりこの新春合併号の新連載2話掲載に打ちのめされ、「絶対この人を超えられない。」と気が滅入ったものです。
しかし手塚先生が「ストリー漫画は絵が5割、案が5割。ギャグ漫画だと案が9割」とマンガ少年(朝日ソノラマ)に書いていたのを思い出して、「案でも頑張る!」気を取り直したものですが、後年のドラゴンボールのフリーザ編(ギニュー特戦隊が出てくる)あたりを顧みれば「案でもあのように読者アンケートで1位を取る作品は私ではとても無理だった。」と思っています。

しかし私が医学生の頃、同じくジャンプ掲載の江口さんがどんどんビジュアル的に凝って行き、後年は漫画家と言うより美少女イラストレーターのような立場にいるのを見ますと、私は医者でこっちにいるんだし、これが才能の開花&世に認められる最善のものだったと悟っています。

先日も書いたNaziですが、戦後の評価から教えられた人と違い、私はその前のプロイセン・ドイツの歴史から学び始めたので、Hitlerの祖国の復興のために身を捧げた生き方を理解しますし、端的に言えば反ユダヤ主義を過激にしたこととソ連侵攻以外は高評価です。

しかし国家社会主義とか西欧とは違う中欧の論理等は、漫画でヒット作のネタに難しく私の力量ではチト無理だったと悟っています。

プロイセンに憧憬を覚えたのは高1からで後天的なのですが、綺麗な女性にピンと来るのは物心ついた時からの先天的なものなので、美容外科医として生きるのがやはり業(カルマ)だったと思っています。