高須克弥先生:史上最大の美容外科医

パーティーのご招待 私が高須先生に初めてお会いしてご挨拶出来たのが昭和63年5月でしたから来年で24年前の事となります。それ以前から雑誌・テレビ・書籍でも注目していましたから四半世紀以上、私は高須先生を仰ぎ見ています。
“クイック整形”、“プチ整形”なる造語は高須先生のご発案で、テレビ・雑誌などを通じて美容外科を国民に身近にしました。 また全国チェーン展開も高須先生が先駆けで、高須先生の影響はあまりに大きく、史上最大の美容外科医と言って過言でありません。
 高須先生のご発言が十数年前にインタビューか何かで書かれていたのですが、「日本の美容外科医の半数は高須クリニックに何らかの形で関わっているんですよ。」とは正しかった気がします。以前は昭和大学形成外科の医局員の多くが非常勤の形で高須クリニックにバイトに来ていました。私が平成の初め頃に度々通っていました徳永美容形成外科で、昭和大学形成外科の同門会誌を昭和50年頃~平成2年分まで全部読みましたが、50年代の初めの頃は同門会の記念撮影に高須先生も写っています。徳永院長から「この高須クリニックの症例写真は私が執刀した人ですよ。」などと聞いた事もありますし、徳永先生は高須先生と昭和の同級生で「た」と「と」の席次の関係で一緒に実習等された親友の間柄、高須先生の事はよく聞かされました。
 また徳永先生の前に私がお世話になった長谷川先生も高須クリニックにご勤務されてからのご開業だったので、その先生方から指導を受けました私も「高須クリニックに何らかの形で関わっている」1人と見なせると思います。
 私が美容外科を学び始めた頃は今以上に美容外科医は「高須!」と聞いただけで羨望と目の眩む思い、中には嫉妬等と、様様な気持を持って皆が突出した存在と認めていました。会ってお話できれば、その不思議なオーラに魅了されますから、その美容外科医は、どちらかと問われれば、親「高須」の立場になっているものです。
  その高須先生と私は今では学会で何度もご挨拶やお話できるようになり、この度、パーティーの招待状も送って頂けるようになったのを感慨深く、また有り難く思います。
 “天才”高須克弥先生の記念パーティーが楽しみです。