長谷川先生(二重埋没法と光脱毛)
江崎クリニックは遠かったのと、ご専門の禿手術よりは、私は目や鼻の手術の方が遙かに関心がありましたので、常勤の大学病院の休みの日は昭和63年2月から福岡の「美容外科天神」に通い始めました。見学だけだった江崎クリニックと違い、埋没法くらいはやりたくて仕方がなかったので、そこの院長、長谷川先生に「タダで良いから勤めさせて下さい。」と言いました。研修医1年目の終りでしたから「タダで・・・」と言わなければ断られるに決まってると思ったのです。
非常勤で勤めた美容外科天神でもしばらくは見学か助手が続きましたがその年、研修医2年めの6月か7月頃、「木村先生もそろそろ埋没法はできるんじゃないかな。」と言われ埋没法のデビューをしました。私の第1例目と2例目の患者さんの場合、長谷川院長が最初から最後まで監督していました。私のはこのチャンスをモノにすれば道が開けると凄い気迫で臨んだ記憶があります。そして2人とも上手く仕上がり長谷川先生の了解も取れ、3例目の人から埋没法は任されました。と言っても長谷川院長は隣でカウンセリング等されていて直ぐ来れる状態でしたし、私の埋没法術後は必ずチェックされましたから、今から考えても長谷川院長は真面目だったと思います。
その後の私は土曜の例えば15時に美容外科天神で埋没法があるなど分かっていた時は、常勤の門司労災病院が13時上がりが建前でしたから、13時過ぎに理由をつけて上がり、高速道路をフルスピード(ボロ車だったので時速165キロが最高)で走って美容外科天神に着いては埋没法をやれせてもらっていました。あの頃は無給なのに埋没法を行う時、毎回ワクワクと言うか感動していました。
長谷川先生には同年5月に日本美容外科学会に連れて行ってもらい、11月には私が演者で美容外科天神で行われていた「脱毛」の学会発表もさせて頂きました。現在の光脱毛の先駆けと言えました。楽しい思い出が一杯あり、今も長谷川先生には感謝しております。