藤田医科大学のこと 滝田毅先生のこと
(医学生時代の追憶)・・・学内には数々の巨大建築物がありましたが、外部から敷地内を進めば魅せるように考え尽くされた配置、そして外も中も見せるところでは偉大さ・重厚さ・荘厳さを演出していました。単なる建築物ではなく意志を伝える建造様式として芸術性がありました。
そして学生も教職員も一体と なって活動するアッセンブリ教育、完璧な音響効果を持つコンサートホールで ワーグナー等のクラシック音楽の演奏、大学生なのに制服を課し 出席も厳しく取る、学園雑誌では高邁な理念の下に規律と秩序を求める教説・・・鑑みて全体主義、そして『ここは第三帝国だ!』と入学後から思っていました。
私の中欧史での探求は高校1年の6月にドイツ第二帝政から始まりましたが、続くヴァイマル共和国、第三帝国‐大ドイツ帝国での書籍も高校2年になると読んでいました。丁度その年に刊行された「アドルフ・ヒトラー(村瀬興雄著)」には第二帝政の大まかには継承政体が 第三帝国であったから多くの国民の支持を 得たと説いていました。
私は第二帝政=プロイセン・ドイツの反西欧的な中欧の論理を肯定的に捉えていましたので、村瀬の見解どおりなら、そしてあの極端な民族闘争イデオロギーを措けるとするならば、第三帝国は好ましい面が多いのではないかと思っていましたので、私は藤田に入学後、民主主義とは一線を画した卓抜した指導者の意志で組織を勃興させる学園の姿勢は総じて言えば好ましく想ったものです。
後年、医学部6年の5月の体育祭の時ですが、この時が唯一学生が直に藤田学長に近寄って話せる チャンスです。私は勇気を持って賭けて言いました。「学長先生、 記録映画の『意志の勝利』をお持ちですか?」 答えは「持ってますよ。」でした。やはりです。続いて「お貸し 下さい。」と私は言いました。
当時の西洋史の雑誌に「ナチズム研究は日本人が書物の字面を追っても感覚的に分からない。ワーグナーを聴くこと。意志の勝利を観ること。」と書いていましたが、インターネットの無い時代に、ドイツ本国では販売禁止の『意志の勝利』を私は入手できませんでした。
藤田学長からのビデオは米国製でした。そして観て圧倒的な映像と演説に『真髄を観た!』と暫く興奮状態が続き、久しぶりに、ビスマルクのドイツ統一戦争から1945年の敗戦までの探究に入り込みました。
そして同年10月下旬の藤田医学祭で教養課程の講師の滝田毅先生の 「リーツラー日記の信憑性」のご発表を聴きました。 先生は近代ドイツ史がご専門ですから私が強く惹かれるところです。後日、ご面談させて頂きますと、先生は私に精神科に入局 を薦めました。でもそれは私自身前から思っていたことで、 エーリッヒ・フロムのように精神分析的な 手法で歴史上のカリスマ的政治指導者の意思決定を解明をするというものです。
中欧史は哲学と絡んで私を迷妄から解き放ってくれ、浪人中の漫画投稿や受験勉強、医学部入学後の定期試験突破、5年生の模試連続1位などの精神的な支え(「TOTALER KREIG」など)になっていましたから、『歴史学⇄精神医学で研究して新たな真理を導き出せるなら、鶴の恩返し!』と1か月ほど真剣に迷って又、滝田先生と面談しました。 しかし滝田先生の流暢なドイツ語や圧倒的な知識量、史実の客観的捉え方・・・それらを思い知らされ、私は『漫画家になろうとした時と同じ、 歴史学⇄精神医学と言っても、歴史の分野で滝田先生のレベルに到底届かない。研究成果は出せないだろう。』そして、医学部入学時に『半分くらいの確率で将来は美容外科医師になるだろう。』と思い、医学部4年時にその意思はほぼ固まって来たように、『能力が一番全開できるのは生来持っている芸術的な才能で美容外科を極めること。』と決意を新たにし、今に至るのです。
(ネットで滝田先生の貴重なサイン本を入手できました。大変な労作かつ名著です。一生大事に持っておきます。)
2023/07/02 拝