舛添氏は物を言える立場にないと思う。
元東京都知事の舛添氏が小池氏の非難に嬉々としているようです。
しかし『貴方は人を批判できる立場にないです!』と思っている都民は多いと思います。
私もこの人が都知事の時に不満がありましたから別ブログに4回苦情を書いたことがあります。
今は、ネットのニュースの欄を見れば選挙関連の記事が多く、色々と目に留ってしまいますが、舛添氏には勝手な放言が多くて、小池氏が都知事を辞職して国政に出馬すると大見得を切っていたのに、今は見当が外れたと謝罪している記事がありましたし、下記の記事もありました(画像)。
舛添氏は若い頃にフランス留学をして大戦間期の研究をしたらしいですから、その知識を持って画像にある発言をしてたのでしょうが、何か違いますね。
私は高校~今に至るまで近代~現代の移行期の中欧史を研究していますので、舛添氏や山東昭子氏がいうように小池劇場はNaziの大衆世論操作に似た面はあると思います。
しかし、舛添氏が「ゲッベルスにそっくり」は見当外れです。
ゲッベルスは元々党内左派のドクトルですから、大げさなデモンストレーションは反って観る者に忌避感を与えかねないと憂慮し、敵意剥き出しの口撃も同様に大衆が引いてしまうと控える傾向でした。
ゲッベルスが宣伝省の天才たるゆえんは、何気ない観劇などの中に分からないように宣伝を仕込んでマインドコントロールするというものです。
小池氏にはこのゲッベルス的手法はあるのでしょうか?
「ニュルンベルク演説」という語法もないのですが、ニュルンベルクで毎年行われた党大会の演説を言いたかったのでしょう。しかし首都ベルリンでの演説の方が圧倒的だったものです。
それと舛添氏指摘の大衆ラジオも、結果として「独裁を許してしまった。」とは余りに言い過ぎで、史実では政権掌握後の独裁は、ゲシュタポ創設、国会議事堂放火と共産党員逮捕、全権委任法、突撃隊幹部粛清などに続いて大統領兼務⇒総統なのであって、ここで「ラジオ」などというのは読み手を愚弄していると思います。