茅ケ崎徳洲会病院を感慨深く想う

茅ヶ崎徳洲会病院 昨日は神奈川県で講習があったので、そのついでに茅ケ崎に寄りました。2年近く前に茅ケ崎徳洲会総合病院が藤沢に移転する前に最後の見納めに赴いた時以来です。
駅前(右上)は私がいた頃とあまり変わらない風景でしたが、病院跡地で大きな工事が行われていました(右上)。回り込んだら看板があり、茅ヶ崎徳洲会病院が出来るとの事!(左下)。完成予想図(右下)を見ては感慨深く思いました。
実は病院が藤沢駅北側に『湘南藤沢徳洲会病院』として移転する前は茅ケ崎はクリニックだけにするとの掲示を読んでいたからです。しかし茅ヶ崎市周辺の人達にそれでは困る声が多くあったから病院復活に繋がったのではないでしょうか。あの病院は私が在職中も1日の外来患者数が1000人超える事がよくありましたから。
・・・徳洲会とは猪瀬都知事の事件とは別次元に、崇高な理念を持ち、農村・離島・僻地の医療向上に大きな貢献をし、都心部においても救急、特に夜間救急の充実に努め、またお金にも困っている人には自己負担分を免除してくれる等、「こんな病院があったら良いのに・・・。」という事を出来るだけ実現してきた病院と思っています。
尤もその裏腹に職員は自己犠牲的過重労働を強いられてきました。医師は残業代も休日出勤手当も出ないのに茅ヶ崎や鎌倉では平日は毎日23時頃まで働き日曜も回診に出て来る日々で、夜中の呼び出しも多く、急患への治療・手術で朝になる事も時々ありました。ERの若い先生たちは日勤・当直・日勤の36時間勤務を3日毎に繰り返していたものです。
しかし皆グチなど溢さずに自らの責務と自覚していた様で、湘南のマリンスポーツとは無縁にして病院の中での苦行に耐えていたようでした。
それはやはり夢と希望とロマンが徳洲会には在るからと想っています。