2つの美容外科学会の統一 ⑧(形成外科標榜申請時、美容を入れなかった大森系の失策)
昭和50年に形成外科が標榜科目として国会で承認されましたが、その定義に美容を含ませなかったのは大森系の失策です。十仁の梅澤先生も当時「美容は含まない」と武見太郎先生と一緒に大森系から一筆取った事を証言されています。ですから昭和52年に十仁系が「美容整形科」の標榜を申請した時、大森系は反対しましたが既に遅かったのです。
翌年昭和53年に「美容外科」が形成外科と横並びの独立した標榜科目となりましたが、これは後年の「美容外科は形成外科の一分野」という合言葉に反した大森系からすれば困った事態なのです。こんな言葉が通るなら標榜科目の独立性からして「形成外科は整形外科の一分野」「整形外科は一般外科の一分野」と呼んで良いか?という話になります。
美容外科が独立した標榜科目になった事は十仁系の立場を強化することに繋がりました。非形成外科医の美容外科医を増やしましたし、私にとっても形成外科に入局せずとも、卒後数年は整形外科か一般外科で苛烈な医療をガンガンやりたいという志しが遂げられるかと思わせました。少なくとも私の場合は、美容外科が標榜科目にならず、美容外科は形成外科の一分野という風潮が当時あれば、卒後に形成外科に入局したのは間違いありません。