2つの美容外科学会の統一 ⑦(形成外科全体が美容容認になったのは最近)

私が医学部の学生の頃、美容外科をやっている先生方の出身科で一番多いのはギネ(産婦人科)だと言われた事があります。
確かに当時は鴛海先生や船津先生、当院の安見先生もそうでした。
そして私は医学部6年の晩秋に、保健衛生大の形成外科助教授だった中島龍夫先生に個人的に呼び出されました。私が夏休みなど卒後の入局前提に手術の筋鈎引きに入っていた事がありましたから、2年ぶりの新入医局員(2年連続ゼロ)として私の入局予定を喜んで頂けたようでした。助教授室で最初親しげにお話をさせて頂いた時、私はここで本音を言っておくべきと思い、「形成外科に入局した後、いずれ美容外科をやりたいです。」と言いました。すると中島龍夫先生はみるみる顔色が変わって烈火の如く私を怒鳴りました。「美容外科なんて社会の裏街道を歩いて来た者がやるもんだ!!」と言われたのです。私は驚愕しました。そして数日以内に講師だったNo2の吉村陽子先生にも尋ねましたが、「美容は訴訟も多いですしねぇ。」と嫌~な表情をされて言われましたので、『もう母校の形成外科入局は無しだ。』と悟りました。
そして後年ですが平成6年、元聖マリアンナ医大の形成の教授でした荻野洋一先生にも「美容外科をやるんです。」と言ったら、酷く怒られ、あざみ野の自宅まで呼び出されて説教を受けました
また以前は日本形成外科学会会長になろうとしたら美容外科に距離を置く立場に見せておく方が有利だったそうです。日本医大の文入教授は形成外科学会の会長になるまでは美容外科に批判的な発言もされたそうです。しかし会長を終えた後は、日本美容外科学会(JSAPS)に入会届けを出され、後に美容外科学会会長もされました。形成外科全体が美容容認になったのは最近の事です。