高須克弥先生への回想
高須先生とは色んな意味で凄い先生だと思っていますが、向かって左のお写真は43才位の頃、右は63才位の頃ですが、どっちが若いか分かりません。
43才の頃は昭和63年で私が初めてお会いした時でしたが、この写真以上に彩だった個性を放っておられ、パンチパーマに、ナスぶち眼鏡。レンズの上の方に薄く色が付いてサングラス風のものを掛けておられ、そして薄く鼻髭、もみあげも長めという感じで、一目見て並みの医者じゃないと分かるものでした。そして美容外科学会でのご発表も質疑応答もスラスラをよどみなく斬新な手術法やその解説をはなされ、そしてそれが私たちにとって聞いて分かり易く面白く、高須ワールドに惹きつけられているという感じでした。私は十仁系(JSAS)、大森系(JSAPS)の両方の学会に出ていましたが、正直言って楽しいのは十仁系で、その源泉は高須先生にあったと感じています。
当時から雑誌での宣伝1つとっても、高須先生は診察中の風景の写真で、手術用の帽子でなくタオルで頭を包んで後ろで結んだ写真を載せたものがありました。あれは自然体の表れかパフォーマンスか分かりませんが、自由人で且つ芸術家のイメージを放ってました。しかし並みの医者が頭にタオルを巻いても、患者さんには工事現場の作業の人の真似をした奇異な感じにしか映らないはずですが、高須先生なら決まっていたのでした。
平成8,9年頃でしたか、美容外科学会で高須先生のダブル豊胸のご発表に、疑問を持ってフロアーから質問した先生がいましたが、高須先生のお答えの直後、「高須先生が言われるのですから納得します。」と言われたのには皆が笑いました。梅澤先生、稲葉先生に並んで学会の顔として高須先生は突出していたのでした。