美容外科は、まず宣伝ありき。売上額の半分が広告費に…。
私が美容外科クリニックで埋没法を行い始めた昭和63年、あの頃は広告と言えば紙媒体かTV・ラジオでした。院長から話を聞いたり、広告代理店の人を帰り道(福岡→北九州)が同じだからと助手席の乗せて運転しながら話を聞いたりして分かりましたが、「開業したら広告費を惜しんでは行けない。」「イーストクリニックなんか2店舗で月に3000万円の広告費をかけて5000万円の売り上げを出して伸びている。椎津さんはヤリ手だ。」(注:現存するイーストを冠するクリニックとは全く別のクリニック)と聞くと内心『尋常じゃない。狂っている。』と思いました。
当時はバブル経済突入で日本中がイケイケの頃です。だから「美容外科は、まず宣伝ありき。売上額の半分が広告費に消えても、それで勝てる。目立ってナンボや!」という調子で積極攻勢でした。美容外科が標榜科になってやっと10年、標榜科にならなかった“美容整形”という言葉を理解してもらうためでしょうが、「美容外科、眼科、耳鼻科、整形外科、婦人科」と標榜していた美容外科クリニックもあり、『滅茶苦茶だ。』とも思いました。
『美容外科はやりたい。だけど結構ヤクザな商売だ。 やれるか? いや~こういう点で自信ない。 じゃあ形成外科転科は? 形成に行ったら開業は美容外科でしか出来ない現実あり。 ・・・つまり開業を念頭に形成外科に行くとはヤクザ医師への未来が待つか。・・・転科は保留だ。』と自問自答する私がいました。