大阪「白壁美容外科」への訪問を実現
平成2年の秋の大森系美容外科学会(JSAPS)に出たところ懇親会の時に何故か白壁武博理事長がおられませんでしたが前述の河田先生、そして白壁から丁度独立開業される頃の衣笠先生(きぬがさクリニック)にご挨拶しました。なおこの時、愛読書の外来小手術アトラスの著者、市田憲信(正成)先生にお会い出来て、あの本では随分お世話になった御礼と市田先生のように、整形外科→形成外科→美容外科が私の願望とお伝えできました。
さて、時期は平成2年の確か晩秋だったと思いますが、白壁美容外科の訪問の前には、かなり丁寧なお手紙を出しました。それは慎重を要求されるとの思いからでした。遡ること医学部4年の終わりか5年の昭和60年、市田先生の後任として名古屋の原病院に勤めていた白壁美容外科出身の岸本先生に手術の見学を申し込んだところ私は断られているのです。更に平成元年、徳永美容形成外科に通いたいと打診した際も一度は断られています。しかしこれには諦めきれず、便箋11枚の長い長いお手紙に逸品のイラストを添えて何とか面談OKだった辛い記憶がよぎったからでした。
白壁美容外科には訪問を許可されたものの、徳永先生と初対面時を思い起こせば、「ここは本来、昭和の医者しか出入りさせてない。」と釘を刺されたことがありましたので、白壁美容外科でも同様か?と戦々恐々でした。
大阪到着後、『白壁ビルの名なのに“真黄色”の壁のビル、そして屋上に“CABINの大看板”・・・こりゃあ目立つ!』と感心しつつ、ビル内に入るとまずは外来に通され、数分後に婦長らしき人から奥に白壁理事長がいらっしゃるので入るよう指示され行きました。(続く)