形成外科の心その2
私は学生の頃、医学部図書館で「日本形成外科学会25年の歩み:1982年」(画像は50周年号)を読んでおり、コピーは今も所持しています。そこの執筆の巨匠たちは皆スタートは整形外科等からだったのと、当時の形成外科の代表的教科書「標準形成外科学」の代表執筆者が昭和大学形成外科鬼塚教授で、経歴に東大整形外科入局・・・とあったのは、私も整形外科からスタートでまた良しとの考えを持つ要因になりました。
実際、「日本形成外科学会25年の歩み」には、下記記述がありました。
3頁左下、長崎大形成の難波教授は「昭和29年、長崎大学医学部に整形外科が開設されたとき、私は第一外科から整形外科に転科したが、これはPlastic Surgeryの領域を勉強するには外科よりも整形外科がより適していると考えたからである。」
16頁冒頭、河邨教授は「私が札幌市で第12回総会を開いた時、(中略) 私もまた、三木、天児、岩原、児玉の各教授に次ぐ実に5人目の整形外科出身の会長であった。」
32頁右下、牧野教授は「医療法の一部を改正する法律案 (中略) 「整形外科」の下に「形成外科」を加える。」
81頁左、セブンベルの渡部先生は「約9年間腹部外科を中心に外科を勉強し、その間外科手術とは密接な関係にある麻酔の研究にもたづさわり、(中略) ふとした事で形成外科の存在を知り興味を持った (中略) とにかく形成外科をやってみよう」
・・・中島先生の場合、昭和45年卒業で、その6年前に慶応は形成外科が開設されていて、そのまま入局されたから自然に「1年目から形成外科をやってないと身に付かない。」と言われただけと解釈していますが、私はやはり「形成外科の心」とは個人の持つ資質で決まると今も思っています。
また私は医学部卒業前に医師としてのスタートは激務で24時間フル臨戦態勢のような環境を欲していました。ですから一般外科医または救急車がバンバン外傷患者さんを運んで来る病院で整形外科医として働く事を考えていました。すると昭和60年頃の形成外科の教授の半数は整形外科出身である事や卒前にJSAPSの理事の江崎先生が、以前のブログで書きました様に、諸々の理由から将来美容外科を行うにしても整形外科からのスタートを勧められたのは、望むところとなったのです。