“美容外科を志した”ことを正月に顧みる。

高須クリニック 高須克弥先生高須先生の年賀状は毎年趣向を凝らしてあり、楽しくも素晴らしいものです。 今年のものは映画フィルムのようで、私は医学生だった頃に高須先生の放つオーラが並みでないと気付いたのを思い出しました。
さて、嘗て私は漫画家は諦めて医学部に入りました代わりに、美容外科を将来やる確率は50%位と入学時に思ったものです。
そして母校の医学部が愛知県にあったため、高須クリニックの広告はテレビや雑誌でガンガンされており、高須先生には学生の頃から注目していました。
後年、高須先生は学会の場で「美容外科は第3の医学です。」と言われたのを聞いて思わず頷いたものですが、これは私からすれば、芸術性、創造性、社会性を有するといったもので、病気や怪我を治す一般医療とは随分趣きが異なり、この辺が漫画制作に通じる面があると思っています。

私は整形外科を主体にやっていた頃は、如何に機能予後を良くするかを第一優先に仕事をしてきました。久留米大学の藤田先生や湘南鎌倉総合病院の塩野先生らの多くの指導医から直接学び、私がその手術を初めて行う際は、手術の前立ち(第一助手)をしてミスがないようにして頂き、患者さんがベテラン執刀医から手術を受けるのと変わりなく結果を出させて頂いたことに、改めに深謝致します。

私は脊椎外科手術は本業には成らなかったのですが、硬膜外ブロックでの加療等かなり行い、頸椎・腰椎疾患の診断および保存療法(非手術治療)は、いい線を行っていたと思っています。

四肢・骨盤手術は一人立ち出来ていた分野は多く、骨折手術の多くと人工骨頭・人工関節では私が指導医として前立ちし、若い先生を育てていました。

茅ヶ崎徳洲会総合病院整形外科では医長を拝命しましたのは有り難いことでしたが、この時期に一生整形外科で全うするのか、初心に返り美容外科を行うか悩みました。
・・・結論として機能再建の整形外科は尊いものだが、私にとっては美容外科も又尊く、この分野に対する業(カルマ)が自分にはある。というものでした。

ヤスミクリニックで後継開業して、著述した最初の本の“あとがき”を抜粋します。

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「親からもらった体を・・・」という日本人の倫理観からして美容整形は必要悪なのかも知れません。しかし必要性を認めそれを望む患者さんがいる限り、医師も必要なわけですから、それに私がなっても良いのでないかと自分を諭したこともあります。治療を受ける患者さんが心にわだかまりがあるままに治療に踏み切っているのと同じく、私も精神的な自己矛盾を抱えながらも、美容外科に磁力のように引かれてこの道に入ってしまったというのが実情です。この分野に対する業(カルマ)が自分にはあるのだと思っています。